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『人工島をアートする』

鎌田恵務君新作に寄せて

「あれこれの岩のことを考えるとき、わたしの精神を照らす岩のさまざまの性質がわたしに現れてくる。実に岩が善くて美しいものであること、自分に固有な存在段階に従って存在すること、他のものや他種のものとは別のもので類と種で異なること。…適正な秩序を破らないこと、みずからの重さに従って自分の位置を求めること、わたしはこうしたことを理解するのである。わたしが岩の中にこられの性質や他のこのような性質を理解するとき、こららの性質はわたしにとって光となり、わたしを照らす。わたしはこられの性質がどこから岩に来るかを考え始めて、岩がこれらの性質を、ある他の見える、あるいは見えない被造物の分有によって所有しているのではないことを理解し、直接に理性によって万物を越えて、万有の原因へと導かれる。この原因を通してこそすべてのものに、位置と秩序、種と類、善と美、存在と他のすべての自然的賜物が分配されるのである。」

 

右に引いたのは、9世紀カロリング朝ルネサンス時代のアイルランド出身の哲学者スコトゥス・エリウゲナのことばである。 

 

こうしたことばは、千年の時をへだてて、今日のわたしたちからは、はるかに遠い。 はるかに遠いが、しかし、それでも、水滴が岩を穿って水盤となり、その水面にさざ波がたつとき、わたしは、そこに、このことばのはるかな響きを聴く。 やがて、水盤の水が枯れはてて、そのうつろな窪みに風がかようとき、さざ波の響きの回想は、なおわたしの心に生きる。 やがて、うつろな窪みは、いつの日か、もとの岩に還る。こうして、ことばの絶え果てた世界に、万物の円環が完結するだろう。

 

坂部 恵

東京大学・ 桜美林大学名誉教授、哲学者

2001年6月29日  毎日新聞『文化 批評と表現にて』掲載

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